1/14日本にて。
ということで、今回は僕がJICA海外協力隊(青年海外協力隊)を志望した理由を記事にしていきたいと思います。しょーもない話なんですが、ここに書いとかないと絶対忘れてしまうので許して下さい(笑) たぶんブログにちゃんとは書いてないはず・・・
以下目次です。
この記事の目次
建前上の志望理由
JICAに対して提出した志望理由
JICA海外協力隊に応募した場合、応募書類の他に志望理由などの資料を提出しなければなりません。仕事の合間に用意するには結構しんどい量だった・・・。今回は三年前僕が書いた志望理由をお見せします。これが実際にJICAに提出した『建前上の志望理由』です。読むのがめんどくさい方は~~~の部分までとばして大丈夫です(笑)
~~~以下、とばして大丈夫です~~~~~
【ボランティア活動に参加する動機、抱負】
私は現在、岡山県の高校で講師として働いています。日本の教育目標の中には、グローバルな人材の育成という記述がありますが、自分自身日本国内のことしか知らないのが現状です。それにもかかわらず、生徒に十分な指導ができるか疑問を覚えたのがこのボランティアに参加したいと思ったきっかけです。幅広い視野を身に着けるだけでなく、文化や価値観が異なる環境の中でも、日本と同じように大切にされていることは何なのかを学びたいと思っています。国や言語が異なることに物怖じせずに現在と同じように様々なことに挑戦していきたいと考えています。
【理科教育の職種を選択した理由】
青年海外協力隊に参加するにあたって、自分が派遣された国の役に立てることは何かと考えたとき、現在の職業である高校理科の生物を教えることが最も貢献できると考え、この職業を選択しました。日本では進学のためだけに理科の授業を受けている生徒もいます。しかし、理科を学ぶことは、自然のささいな出来事にも感動できるようになり、人生を豊かにすることにつながると考えています。そのことを生徒に伝えるには何が必要なのかを文化や環境の異なる海外で学びたいと考えています。
【職種に対する自身の経験、技術適合性】※自分の選んだ要請内容に対しての技術適合性についても触れる。
私のセールスポイントは行動力です。現在勤務している高校では総合的な学習の時間が盛んで、地域の活性化をテーマにした活動を3年間通して行っています。現在は自然に興味のある生徒達とともに、地域の人が持つ自然に関する知識や技術を一緒に学び・伝える活動をしています。生徒と一緒に体験活動を行うことはもちろんですが、自分も実際に地域の方と同じ場所で生活し地域の祭りや月に1度行われる山登りに積極的に参加しています。総合的な学習の時間だけでは時間も短く、授業の内容も限られてきますが、勤務時間外にも地域の方と密接に関わりをもつことで生徒に伝えたいことを数多く発見することができました。
また、通常の生物の授業では、生徒が楽しく学べると同時に学力の保証ができる授業の形を積極的に模索しています。教員としての経験は2年目でまだまだ未熟な部分も多いですが、授業がなるべく受動的な時間にならないように考えたり、気づいたりする動作を授業内に入れるようにしています。具体的には、実験やフィールドワークなどの体験学習やグループワーク、パワーポイントを用いた発表活動、シンキングツールを活用したまとめ作業を生徒の実態に応じて行っています。準備や、生徒の実態の把握が不十分で、うまく授業を展開できないこともありますが、生徒に十分な何を考えたのかを整理した授業プリント等を作成することによって最低限の学習の手当てを行うように努めています。
↑当時は狂ったようにプリント作ってました・・・
全ての授業で、ワード、エクセル、パワーポイントのいずれか一つは必ず使用しており、生徒に指導する機会も多いため、志望したホスキンス高校でのコンピューター指導も積極的に行うことができると考えています。
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何か偉そうなこと言ってますね、こいつ笑
確かに↑で言っていることは正しいっちゃ正しいんですが、100%の本心(志望動機)じゃありません(笑) じゃあ、結局何が目的で応募したかというと以下の三つが主な理由です。
①教員になりたかった
②自分の力を試したかった
③日本に飽きた
教員になりたかった
ぶっちゃけこれがためにJICA海外協力隊に応募した節があります(笑) 実はJICA海外協力隊(青年海外協力隊)の経験は教員採用試験でかなり評価してもらえます(自治体による)。当時岡山県の高校講師だった僕は毎年受けては落ちる教員採用試験に嫌気がさしてました。(覚えても意味が無いような試験問題には勉強するやる気を出せない性格なので、どう逆立ちしても受かる気がしなかったんです・・・頭も良くないし笑)
↑初年度(22歳)の時の写真。なんか若ぇ・・・。
そんな時に噂で聞いたのが青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)。この経験を後ろ盾に教員採用試験を受ければ合格しやすくなるというのを聞いた僕は迷わず応募を決めました。やる気になれない試験勉強をするよりもJICA海外協力隊で2年間を過ごした方がよっぽど有意義だと思ったんです(笑)
ちょうど転勤しそうなタイミングでもあったので、応募しない理由がありませんでした。
自分の力を試したかった
2つめの理由。日本の教員の仕事をしたことのない方にはわからないと思いますが、日本の教員って日々の授業以外にたくさん仕事があります。てか、頭の中や実際の業務のウエイトは・・・
授業<その他の仕事
な感じになりがちです。
↑雪かきとかね。これは楽しかったけど(笑)
なので、実際の学校現場では授業がうまいとかは業務上そこまで重要じゃない感じなんです。(もちろんできた方がいいんだけどね・・・)正直僕はそこまで授業以外の仕事が得意なわけでもないし、向いているとも思えなかったので、今考えるとよくやってたなぁ~と思います(笑) ※典型的な社会不適合者の僕が公務員の仕事をよくやろうとしていたよ・・・って意味です。
そんな中でも、結構頑張って授業研究をしていた22~24歳の2年間。最初はヘッタくそだった授業も核となる本質をちょっと理解でき始めていた頃・・・
純粋に授業だけがしてみたい
国が変わったら自分の授業は通用するのか知りたい
そんな感じの欲求も出てきてました。
なので、応募したときの条件は授業以外に言語の勉強をあまりしなくてもいい(授業に集中できる)英語圏のパプア、生物を教えることができそうな確率が一番高いホスキンスを選びました。(なんか運良く第一希望が通って、ホスキンスも生物の先生を求めていたので、結果願ったり叶ったりだったっていう・・・)
ここまでで、「国際協力」っていう概念は全くありません(笑) そして最後は・・・
日本に飽きた
やっぱりね、今考えるとこれが一番大きかったのかなぁ・・・と思います。日本にいても全然おもしろくないんですよ(笑)
なんか、居心地悪い・・・
職場やプライベートに不満があったわけではないんですが、周りが「楽しい」と思ってることに共感できないし、自分って日本の社会に明らかに適応できてねぇよなぁ・・・と頻繁に思っていたのもこの頃。なんか周りの人から浮いてる感じ・・・。当時海外に行ったこともなかった僕は居心地のいい環境が海外にあるんじゃないのか・・・?という期待もしながらの応募でした(笑)
※ちなみに、この気持ちは任期が終わって日本に帰って来ても全く変わってません(笑)
結局・・・。
結論から言うと、「国際協力がしたい」とは微塵も思わずに応募しました(笑) 自分のしたいこととJICA海外協力隊の要請内容がたまたま一致してたから志望しただけなんです。
ほんと・・・クソ野郎ですみません。なので、結構「悪いことしてるなぁ~・・・」感がぬぐえないまま協力隊の訓練所に入所しました。
でも、入所してビックリ。
僕と同じ感じの志望動機人の方が多数派だった(笑)
確かに「昔から協力隊にあこがれて・・・!」という方もいらっしゃいました。でも、やっぱり2年間で200万円ぽっちのお金で環境の整わない途上国に行こうとする人には変な人が多いみたいです。(なので居心地は結構よかった笑)
てな感じで僕がJICA海外協力隊に志望した本当の理由は・・・
単純に自分のしたかったことと、協力隊の要請内容が合致したから。
最初はこれに罪悪感も感じましたが、終わってみればこの考え方はある意味いい方向に働いていたと思います。自分のやりたいことだから業務内容に全く不満はなかったし、退屈は全くしなかった(笑) 自信をもって最後までやり遂げることができたと思います。
↑パプアは実習生の指導も外国人ボランティアに投げるほどテキt・・・自由にやらせてくれる国でしたからね・・・自信が無い状態でやってもいいことにはならなかったはず
まぁ、パプア人とのやり取りはほぼ不満しかありませんでしたが・・・
以上、
これが僕がJICA海外協力隊を志望した理由でした!
最終的に教員になりたいがために志望したんですが、実は今ちょっと就職先を決めかねてます...(これものちのち記事にします)
これからはこんな感じでJICA海外協力隊に参加して思ったことをメインに記事にしていきます。日本の変わり者マイノリティの考えていたことを知りたい人、自分自身が変わり者マイノリティな方は是非お楽しみに!